「私のキャリアのスタートは、ファッション業界からでした。2003年から2年間、私はハイファッションブランドのプレスアシスタントを経験しました。私が大学院の新卒で一番最初に働いたのが、当時そのブランドのライセンスを持っていた日本のアパレル企業でした。また、私の実家は明治33年に日本橋で創業した呉服小売店でした。私は子どもの頃から自分の着る物にこだわりがなかったわけではありませんでした。小学生の時には服を白と黒の二色だけでコーディネートしてみようと思いついて実践したり、スカーフのようなネクタイを普段着として首に巻いていました。
でも、平日は学校の制服を着て過ごす時間がほとんどだったので、私の変わったファッションセンスもあまり人目につくことはなかったと思います。
ファッションは、もともと全く無縁な世界ではなかったわけですが、最近では、子どもを産む前と後では、やはり環境問題に対する考え方もずいぶん変わってきたので、それに合わせて服に対する考え方も変わってきました。今回、映画で、ファッションに関する新作が発表されたと聞いて当然興味が湧きましたのも、昨年夏に、私は、グローバルサウスのサプライチェーンに関する映画を観ていましたが、今回もそれと同じ系譜に属する映画を発見したと思って飛びつきました。タイトルは「ファッション・リイマジン」です。イギリスのブランド「Mother of Pearl」という会社でクリエイティブディレクターを務めるエイミー・パウニーという女性のサステナブルな服づくりの仕事に密着したドキュメンタリーという内容です。
ここにわざわざ書こうと思いたった理由ですが、一つは、既存ファッション業界に革命を起こそうとする女性クリエーターの真摯な生き方に心を打たれたからで、もう一つは、先ほども書きましたようにアパレル業界を取り巻く環境問題には私も深い関心を持つようになっているからです。
この地球上で現代人が服を製造する上でどれほどの規模の環境汚染を引き起こしているか。この問題について、今、どのくらいの人が認識しているでしょうか。どうですか? もし認識がまだという人なら、この映画をきっかけに興味を広げてほしいですし、一緒にこの問題について考えることができたらと思います。
この映画の中で、エイミー・パウニーは、サスティナブルな挑戦をしていて、とても骨の折れる試みですが、エイミーの辛抱づよさには本当に頭が下がります。
また、エイミーの思想や考え方には、わかるわかると私自身もうなづけるところはたくさんありました。
でも、問題もあるなと感じました。これは私個人の感じ方に過ぎませんが、じゃあいざサステナブルな商品を買おうかなとなった場合に、やっぱり値段が高いと、正直そう感じます。そこは私も嘘はつけません。
「Mother of Pearl」の商品もネットで検索すると、検索結果で見られると思いますますが、決して安い買い物ではありません。でもそこは、エイミー・パウニーを応援したいという気持ちや、危機的なファッション業界の問題解決への原動力になってほしいと思う気持ちを変える理由にはなりません。ですから、ここにこの映画とエイミー・パウニーのたくさんの努力のことを書いて、よりたくさんの人とここで彼女の仕事についてシェアできればといいなと思いました。
エイミー・パウニー自身は「共感できる」と思っているブランドは二つあるそうです。一つはキャサリン・ハムネットによる「キャサリン・ハムネット」、そして、サフィア・ミニーが創業した「ピープル・ツリー」。
「ピープル・ツリー」の考え方については、私以前に少し勉強したことがあります。これは大学のレポートなのですが、タイトルは「アパレル大国、バングラデシュにおけるサプライチェーンの現状と未来へ向けての課題」、昨年夏に書いた物です。以下に一部を抜粋します。
「バングラデシュは、国土面積は日本の4割程度だが、人口は約1億6千万人で、多くの縫製工場が首都ダッカにある。(南谷・浅井・松尾 2011: 46-55,110-116,161-163)
<ラナ・プラザの悲劇が引き起こした問題提起>
だが、ダッカ近郊では、2013年に、複数の縫製工場が入った複合ビル、ラナ・プラザが崩壊する大事故が起こっている(2013年4月24日)。この事故はビルの安全面や労働環境が蔑ろにされたことが引き金となって死者1000人以上、負傷者2500人以上にのぼった(WWD 2019)。「ラナ・プラザの悲劇」と呼ばれるこの事故は、アパレル業界のサプライチェーンにおける労働環境の問題と人権問題を問い直すきっかけになった。特に先進国の消費者たちがこの問題を認識するきっかけになったのは、ファッションジャーナリズムによる報道と、事故の背景に迫ったドキュメンタリー映画「ザ・トゥルー・コスト 〜ファストファッション 真の代償〜(原題:The True Cost)」(2015年公開)の存在だった(注)。」
ご一読ありがとうございました。
またこの続きの話を書ける日まで。」
]]>「キャラメルは噛まないで舐めるものなんだよ。キャラメルの「メル」は舐めるの「める」なんだよ」
これはなるほど確かに!
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クッキーとリボンがモチーフのスタンプを作ってみました
https://line.me/S/sticker/11645428
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『若草物語』ときいて中学と高校の女子校時代が思い浮かぶのは、青春の物語だからだろうか。
私が高校2年生くらいの頃だと思うが、映画「若草物語」が公開されて、
ウィノナ・ライダーが出ているからこれは観るぞと意気込んだことがあった。
今思うと、クレア・ディケンズも、キルスティン・ダンストも出演していたので、売れっ子が出てる/その後に売れっ子になれる人が出てる映画、そんなジンクスのようなものを勝手に信じていたのだろうか、今回はどんなキャスティングだろうと、早くからミーハー心がくすぐられていた。
発表されたキャスティングを見たところ、今をときめく売れっ子の人たちばかりではないか。ティモシー・シャラメファンも、エマ・ワトソンファンもこの射程範囲からは逃れられないだろう。
タイトルは「若草物語」ではなく、「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」だから、「若草物語」のひとつの解釈だということを表しているのだろう。女性監督が撮った女性応援歌、そういう捉え方もあるかもしれないが、
私のベクトルはもっぱら、「衣装はジャクリーヌ・デュラン!」というところに合わせられているのだ。
ジャクリーヌ・デュランは、映画の衣装デザイナーの中のエリートといえる女性だ。
今回はじめて名前を聞いたという方はぜひメモしてまずはネットで検索してみてほしい。
アカデミー賞の衣装デザイン賞にも一度と言わず何度もノミネートされていて、今年のアカデミー賞(2020年)で衣裳デザイン賞の最優秀に選ばれたのも本作だ。
そうでなくてもジャクリーヌ・デュランの手がける衣裳といえば、私も好きな作品ばかりだったので、若草物語の登場人物にどんな服を着させたのかな、どんな衣装が見られるのだろうと興味津々だった。
では、実際、どんな衣装だったかその感想は……
主演のシアーシャ・ローナン が演じた、四姉妹の中の次女ジョーは、
もちろん四姉妹の中で衣裳においても注目を引いていた。
他の姉妹たちが着ている甘めの衣裳にくらべ、ざっくりした男物風シャツにロングスカートをはいて、ベストを合わせるといった、性別ボーダレスな装いをしているのはジョーだけだ。演者、シアーシャ・ローナンの中性的っぽい雰囲気にマッチしていて、すてきだった。
ジョーの服装のイメージには、文学者という雰囲気があり、インテリジェンスを感じさせ、現代的で常識破りなところもあったりずぼらな魅力もあったりする、そういうイメージだった。とすれば、長女のメグ(エマ・ワトソン)はエレガントで、母性的な優しさに包まれたイメージだったし、ベス(エリザ・スカンレン)は繊細なイメージで、保守的な要素が強い装いに思えた。末っ子のエイミー(フローレンス・ピュー)は、力強くて、粋でクリエイティブなイメージだった。
というのが、私の解釈だ。
映画のメイキングブックが刊行されるそうなので、そちらで詳細は確認できそうだ。
どの登場人物のこともみんな好きになってしまいそうだった。
みんなそれぞれの魅力が立っていたから。
ティーンエイジャーの頃の自分なら、きっと俳優さんから湧きでるピチピチした色気にハートを射抜かれるのだろうけど、
実際には、意外にも、私のツボはルイ・ガレルだったことに、自分の年齢を感じて驚かされる。
ルイ・ガレルが英語でセリフを喋って笑顔でいるところを観るのは私にとっては新鮮だった。そして、どこかで会ったことがある誰かに似ているような、そんな今作に出てくるルイ・ガレルに、深い親しみが湧いてしまった。
今作の公開日:3月27日 →×3月27日 初夏に延期
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アカデミー賞衣裳デザイン賞受賞作品
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なぜかこのシーンがすごく印象に残った。
そもそもこの映画の主人公は、私には、感情移入しづらくて、映画を見ている最初からずっと、「よくわからない」人だった。
ただ、このシーンがやってきたときにだけ、彼に「親近感が湧きました!」ということでもなく、
それでも、何となく、すごくこのシーンが印象に残ったのは、どういうわけだろう。
映画の物語も終盤になって、観ているこちらもさすがにへとへとというところへ、何か気が休まる要素でもあっただろうか。。。
家出した彼の息子を、自転車に乗って探しに行くシーンだ。時間帯は、夜明けである。
この映画の主人公は、常に「へとへと」だ。
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私には、エル・ファニングといえば『SOMEWHERE』(サムウェア、原題: Somewhere)が、忘れられない。
『SOMEWHERE』は、ハリウッド映画スターが、ある日突然前妻から娘を預かってくれと言われて、慣れない娘と慣れない時を過ごすことになり、戸惑い、安堵し、ちょっぴり切なさを感じることになる物語なのだが、話は、監督のソフィア・コッポラの幼少時代に着想を得ているという。
私があの映画が忘れられない理由は、そういう性質上の問題ももちろんあるだろうけど、ただそれだけのことではない。
2011年、3月。日本で東日本大震災が起きた直後、私は、日常生活がまだ復旧もしていないある昼下がりに、この映画のレビューを書いていた。それを書くことは震災前から決まっていたことで、パソコン画面上の原稿シートに向き合う私は、まるで自分の気持ちを奮い立たせるような気分だった。
こんなことってあるのだろうかと、なぜこんな時に映画のレビューなんかを書いているのだろうか自分はという自問と、書くべきか、という気持ちとの葛藤があった。
(結局、何度も書き直したレビューを、入稿し、記事は予定日通り掲載されたのだった。
当時、私は、あるファッションサイトで毎月2本の新作レビューを発表していたから、毎月の掲載日と入稿日がいついつの何日と決まっていて、そのスケジュールに沿って執筆を進めたいたのだ)
誰に向けて、何を書くのか、
自分から出た言葉が、誰かを傷つけたりはしないか(しなかったか)、
いまでも、そういう自問が押し寄せてくる。
自分の書いたことばが何かの役に立ったり、誰かの役に立ったりしたら嬉しいことだけれど、
言葉の使い方には、やっぱり不安になる。
『SOMEWHERE』のことが、だから忘れられない映画になっていた。娘役のエル・ファニング(まだ少女だった)のこともそういう役の人として、ずっと私の心のどこかに残っていた。
ソフィア・コッポラが作ったお話が、震災直後の不安な精神状態にとっても、危害のない、あたたかな物語だったのは救いだったなと今思う。
エル・ファニングのみずみずしさだけれど、今も変わらない。これはちょっと奇跡的なこと
か
も。
今シーズン、エル・ファニングが出ている最新作、
「ティーンスピリット」を観て、
そう気づかされ、少し胸が熱くなった。
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知らない人から 道を訊かれた。
前回訊かれたのは、先月だったか!
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ドリス・ヴァン・ノッテンはベルギー出身のファッションデザイナーです。
プライベートや自宅にはじめて踏み込んだ映画だそうです。
ドリス・ヴァン・ノッテンの服づくりのインスピレーション源ーー
ドリス・ヴァン・ノッテンはインタビューで
「ライナー監督のドキュメンタリーは、他のプロジェクトとは一線を画するものだ」といった。
このドキュメンタリーを撮った監督、
ライナー・ホルツェマーは、ドキュメンタリー作家。これまでに発表した作品は長編、短編を合わせて30本以上にのぼる。日本では2007年に「マグナム・フォト 世界を変える写真家たち」(99)が公開されている。
「彼(ライナー監督)は、私や私のチームやパトリック(ドリスのパートナー、パトリック・ファンヘルーヴェ)を1年以上にわたって追いかけてきました。ですから実際ここには、私という人間や私の仕事の仕方や考え方の全体像が収められています。」
ドリス・ヴァン・ノッテンの服づくりとはーー
住んでいる自宅の花咲く庭は圧巻でした。
その庭は、創作のインスピレーション源だといいます。この映画でしか観られないのがその庭です。
映画「ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男」の公開は2018年1月13日(土)より ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次ロードショー です。
※追記
「アントワープの6人」
ベルギーのアントワープにあるアントワープ王立学院出身の同世代の6人のデザイナーの総称で、ドリス・ヴァン・ノッテンはそのひとりです。1980年代後半にファッション界に現れ、アントワープ発のモードの火つけ役、それを牽引したことで知られます。アントワープの6人が初期の頃に影響を受けたクリエイターそれは「コムデギャルソン」の川久保玲だといわれているようですが、ドリス・ヴァン・ノッテンがどんな風に影響を受けたのか、興味ぶかく思いました。リサーチを続けたいと思います。
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↑↑
むかしむかしに書いたゴダール日記です
twitter経由になります
(twitter経由しないで済む方法がわかりません。。)
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「ママ、ママ、見て、ほら」
声がするほうへ行ってみると、小さな小鳥の死骸が庭の片隅の土の上に横たわっていた。うす茶色の羽根をした小さな小鳥。
横向きになって気持ちよさそうにただただ眠っているようにも見える。でも息はない。その周囲は、摘み取ったばかりのクローバーの花と草で額縁のように飾られていた。もう花は手向けられた後だった
私はおもわず、娘のほうを見た。それからこの子が生まれたばかりだった頃のことを思い出してしていた。気持ちよさそうに眠るような小鳥の死顔がどこかあの頃の娘の寝顔と似ていたからだ。でも、すぐあとから不謹慎だったと後悔した。なぜこんなこと…。でも現に小鳥は今にも目覚めそうな雰囲気だ。
こんなに美しい生き物が、逝ってしまわなければならなかったというなんて…。
「なにがあったんだろう」
と、私が屈んだとき、娘が私の肩の横で言った。娘の小さな顔は真剣そのもので小鳥をのぞき込んでいる。
大人みたいな顔をして、言うので、私はなんだかびっくりした。だっていつの間にこんな表情をするようになったのだろ、そう娘の横顔を見ながら思った。
「うちの庭を選んでくれたんだね小鳥さん。ありあとう。さよなら」
土の上に横たわる小さな寝顔に向かって、娘は言った。
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主人公の記憶の中に登場する人物たちはみな、ファッションの細部に至るまでイメージが鮮明だった。
それは、主人公のイメージの仕方と合致する。たとえば、○○のとき、一緒にいた人物○○は、白いワンピースを着ていて、赤いハイヒールをはいていた など。
(手前味噌な話になるが、私自身もこうした記憶の仕方は身に覚えがある)
具体的にどのように書かれていたかは、以下、これから紹介するとおりだ。
その時代の流行のイメージが浮かび上がってくるところがあるし、着ている服が着ているその人の特徴をあらわし、記号(コード)のようだ。
年代は1960年代。その年にマリリン・モンローが亡くなったという記述があるので、1962年と特定ができる。主人公は18歳。
数歳年上のイヴォンヌという女性に出会って恋に落ちた主人公が、イヴォンヌの幼馴染のマントという男性と出会い、親睦を深めていく。場所は、スイス国境にほど近いフランスの田舎町。
以下、引用。
集英社刊「イヴォンヌの香り」(翻訳:柴田都志子氏)より
=====
―― 彼女(=イヴォンヌ)はエルミタージュのロビーにいた。奥の大きなソファに座って、誰かを待ちうけているかのように、じっと回転ドアの方をみつめていた。そこから、二、三メートル離れた肘掛け椅子に座っていたぼくには、横顔が見えた。
赤毛の髪。緑色のシャンタン地のドレス。そして当時の彼女が履いていた、針のように細い踵のハイヒール。色は白だった。
犬が一匹、足もとにうずくまっていた。時々あくびしたり、伸びをしていた。白黒ぶちの、元気のなさそうな大型のマスチフだった。緑、赤、白、黒。この色の組み合わせに、ぼくはいわばしびれてしまったのだ。
(↑これは小説のなかにはじめてイヴォンヌが登場したときのシーンである。主人公がホテルのロビーでイヴォンヌに一目ぼれした瞬間の記述。印象深い色のコントラストで書かれている。)
―― その晩。そして、ぼくたちをロビーで待っていたマント。彼は白地のスーツを着て、首にはトルコ石色のスカーフを鮮やかに巻いていた。ジュネーヴからのみやげたばこで、ぜひ試してみたまえとぼくたちに勧めた。けれども、ぐずぐずしてはいられなかった。
(↑マントは、イヴォンヌの幼馴染で医師であり、この小説に出てくる謎めいた人物のひとりであるけれども、かなり気障なタイプらしく、服装についてはほとんどいつもスーツに、サングラス、スーツはそのときによってちがうスーツに着がえていて、どのスーツも色鮮やかなものばかりである。どうやらファッションセンスに強いこだわりがある男性らしい。)
―― そこへマントがドアのところに現れた。淡いピンクのスーツを着て、胸ポケットには濃い緑色のポケットチーフが差してある。
室内の客たちがいっせいに振り返った。
(↑こうして、客もいっせいに振り返るほど……)
―― イヴォンヌはオレンジとグリーンの太い縞模様のビーチガウンをまとい、ベッドに寝そべってたばこを吸った。
(↑外出する際のイヴォンヌの描写もそうだが、これは部屋でくつろいでいるときの様子を表したシーン)
――ある晩、ぼくたちはスポルティングで歌っていたジョルジュ・ユルメルに拍手喝采しに出かけた。あれはたしか七月のはじめで、イヴォンヌと同居するようになって五、六日はたっていた。マントが一緒だった。ユルメルはしっとりとした淡いブルーのスーツを着ていて、ぼくの目はそれに釘づけになった。ビロードのようなそのブルーの色には、人を眠らせる力があった。
(↑この小説においてみられる、効果的な色の描写のひとつ。)
―― 彼女(=イヴォンヌ)は紫がかった真紅のターバンにするか、それとも大きな麦藁帽子にするか、まだ迷っていた。「ターバンだよ、おまえ、ターバンさ」とうんざりしきった声で彼(=マント)が断を下した。イヴォンヌの衣装は白のコートドレスだった。マントの方は砂色のシャンタン地のスーツ。こと服装に関しては、ぼくの記憶力は冴えている。
(↑これはイヴォンヌとマントが町の小さなコンテストに出場したときの服装。イヴォンヌは、女優の卵であり、このコンテストに出場したときの晴れ姿は、みどころのシーンのひとつになっていた。またここでは、主人公自らが「こと服装に関しては、ぼくの記憶力は冴えている」と指摘していることにも注目)
―― 空虚な昼下がり。ゆるやかに流れる時間。イヴォンヌはよく所々に穴が開いている、黒地に赤の水玉模様のドレッシングガウンをまとっていた。ぼくの方は例の古い[植民地風]のフェルト帽を脱ぐのを忘れていた。
(↑ルーズに流れる時間。やがてイヴォンヌをつれてアメリカへの逃避行を夢見るようになる。)
―― ぼくは例によってフラノのスーツという服装で、その下には、一枚きりの白のワイシャツは襟がすりきれていたので、[インターナショナル・バー・フライ]の赤と紺のネクタイによくマッチするオフホワイトの[ポロシャツ]を着込んだ。その襟が柔らかすぎて、ネクタイを結ぶのにだいぶてこずったが、ぼくは身だしなみのいい男に見られたかった。
(↑主人公はイヴォンヌやマントのようには衣裳持ちではないのである)
―― イヴォンヌは驚いて振り返った。彼女はグリーンのモスリンのドレスを着て、同色のスカーフを巻いていた。
(↑これは主人公が「ぼくの記憶に残る最後の晩餐の模様」と述べているシーンでイヴォンヌがしていた服装である。マントと三人で過ごした最後の夜のシーン。指摘はされていないが、冒頭で主人公がはじめてイヴォンヌにホテルのロビーで出会って恋に落ちたときも、イヴォンヌが着ていたのはグリーンのドレスだった)
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7月に公開される映画。
覚書:
原作者アストリッド・リンドグレーン。スウェーデンの児童文学者。お母さんのような存在の女流作家。
「長くつ下のピッピ」や「やかまし村の子どもたち」、「ちいさいロッタちゃん」などの作品がある。
映画『なまいきチョルベンと水夫さん』の原作のタイトルは「わたしたちの島で」。
1964年に映画化。
チョルベンは主人公の女の子の名前。“水夫さん”は愛犬の名前。お友だちの女の子、スティーナや、少年ペッレ、動物たちが暮らす島が舞台。すてきな島の夏の物語。
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